入院まで その2

生検の結果はわからないまま、翌日東京の娘の家へ向かいました。
ちょうどその翌日が娘の誕生日で、以前から二人でお祝いしようね、と話していたのです。

娘には、病気のことは話していませんでした。
前の週の金曜日に内視鏡検査を受けることは話してあったのですが、結果については再検査になったとだけ伝えていました。

ガンだと分かればそれからずっと、心配をさせることになります。
せっかくなら何も気にせず楽しく誕生日を過ごさせてあげようと思いました。

「過ごさせてあげよう」というと娘のために、とでもいうような言い方ですが、実際は、私自身が娘と過ごすせっかくの機会を台無しにしたくなかったのが本当のところでした。

誕生日はゆっくり目に起きて、娘の仕事場の近くにあるホテルでちょっと贅沢なランチをしました。
卵にアレルギーがある娘のためにバースディケーキは諦め、デパートで娘の大好物のいちご大福をゲット。
ついでに夜ご飯用にお惣菜をあれこれ仕入れて、家でゆっくり食事、そしてドラマを一緒に見ました。

ガンだろうとわかってから2週間ほど、やはりいつも緊張があったのだと思います。
娘との一日は、その緊張をほぐしてくれました。
病気のことを言っていたら、どうしてもその話をしてしまったでしょうから、本当に言わずにいて良かったと思いました。

特別な一日でした。

後日大阪の自宅に戻り、翌日はまた親戚のお通夜に参列。
その翌日の葬儀は、成人病センターで初めての診察があったので私は失礼させてもらいました。

朝から血液検査、尿検査、心電図(普通の心電図と、踏み台昇降みたいなものを何分かした後で負荷をかけた後の心電図と両方やりました)、胸部と腹部のX線撮影、肺活量を測るテストなどを済ませ、診察で初めて主治医のO先生と顔合わせ。
ガンだということと、今後の治療としては手術が適当だということと、だいたいの入院日、それまでの検査の指示などを頂き、割とあっさり診察は終わりました。

いよいよ、ガン患者なんだなぁ。
そう思いました。

帰宅して、仕事関連やその他必要なところに次々、お休みやキャンセルの連絡をしました。

最後の大仕事は、夜になって仕事から帰った娘に話すことでした。
いつもはラインで済ませるところ、電話を掛けました。

「今日ね、再検査に行ってきたのよ。それでね、びっくりしないでほしいんだけど、ガンなんだって」

本当はなんと言ったか、はっきりとは覚えていません。
多分、そのようなことを言ったと思います。
娘にショックを与えないようにするにはどうしたらいいんだろうと考えていたけれど、何も良い言い方は思いつかないなあと思ったことだけ覚えています。

娘は少し沈黙してから

「そうなんだ。だいたいわかってたよ」

取り乱すこともなくそう言ったので、私の方がびっくりしてしまいました。
さらに

「私の誕生日の時は、言わないで楽しく過ごそうと思ってたんでしょ」

そこまでわかってたんだ…。

大学で家を離れ、お勤めを始めても、24歳になっても、何かあるたびマミ、マミと頼ってくる娘。
私がガンだとわかったらどれだけショックを受けるかと心配していたのに、いつの間にか大人になっていたんだなあ。

娘のことが一番の気がかりでしたが、ほっとしたような、いつまでも親の立場でいたかったのに、気遣われる立場になってしまったことが悲しいような、複雑な気持ちでした。

 

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