今日のお仕事、夕方まで暇で、いろいろやることをやってたんですが、途中でうとうとしてしまいました。
するとてきめん、調子が悪い(汗
ここのところ、寝つきも悪いし熟睡できていません。
やだなぁ。
お客さんが来るとシャキッとするみたいで、夕方からはいつの間にか回復してましたけど。
ところで昨日、白血病を克服した整体の先生と話をしていて、いろいろ考えてしまいました。
彼は、ガンサバイバーという言葉が嫌いなのだそうです。
彼の考えることを代弁して私がここで言うことはできないのですが、基本、ガンに罹患したことを免罪符に使うようなことがよくないという気持ちがあるようです。
私は「サバイバー」という言葉が割と好きです。
ガンだけではなくて、DVや虐待から逃れてきた人のことも、サバイバーって言いますよね。
力強くていいな、って思うのです。
ふと気づけば私はDVサバイバーでガンサバイバーでもあるわけですが、そのことで同情を引きたいという気持ちはありません。
本当に全くないのかな?と自問してみましたが、やっぱり思い当たりません。
ですから、私が「ガンサバイバー」という時、
「ガンにかかったことある」
っというつもりで使っていて、今、ガンが完治していなくても、身体にガンを抱えていても、ガンサバイバーと名乗る、つまりは単に「経験者」という意味だととらえています。
DVサバイバーも同じ。
「DVの元夫と離婚しました」
そう言ったとしても
「かわいそうでしょ、私」
という気持ちはないのです。
「私もわかるよ!経験したもん」
そう言ってもらえて、ふっと楽になったことが、私にもあるから。
だから、「サバイバーだよー」と言うのは、ガンで苦しむ人もDVで苦しむ人も、一人で悩んで欲しくないからです。
私が何かの話のついでに気楽にそう言うことで、一人で悩んでいる人が自分の思いを吐き出すきっかけになるかもしれないからです。
ただ、整体の先生の言うこともわかります。
私は離婚後子連れ再婚をして以来、子連れ再婚の家庭をサポートするNPOに関わっているわけですが、そこにスタッフとしてやってくる人の中に、「スタッフとして関わる自分と家族はうまくいっている、特別な家族」と勘違いしてしまう人を見てきたからです。
なんというのか、現実から目を逸らしてしまう、んですね。
ガンやDVとはまた違うところもありますが、「目を逸らす」という意味では共通するものがある、と思います。
そんなことをぼんやり考えているので寝られなくなるのかなw
ちなみに、DVにしてもガンにしても、自分のことをかわいそうとは思わない分、他人に対しても必要以上には同情はしません。
だから自己憐憫に浸っているように見える人には、どうも冷たくなる傾向が。
みんないろんな段階があるのだから、冷たくしちゃ、ダメですよねw
「自己憐憫に浸っていても、ガンは治らない!
あと少ししか生きられないとしても、その少ない時間をそんなことに費やすのはもったいない!」
冷たくはせず、そう伝えるだけに留めたいと思います。