オフ会、からの訃報

結局、3時間ほど寝て、オフ会へ。

気合いで全て終わらせて、まあまあ良いと思える会になりました。

流石に眠くて、片付けを終えて仮眠。

夫が買ってきてくれたおでんを食べて寛ぎつつ、ここ数日で溜まっていたメールの返事やいろんなお礼や連絡をしていたら、母から電話が。

母のケータイ番号だと思って出たところ、一緒に妙な共同生活しているTさんでした。

母が亡くなった、とのこと。

お風呂が長いのでおかしいなと思って見に行った時には亡くなっていたそうです。

救急車が着いたとのことで、病院からまた連絡してもらうことになりました。

しばらくして病院の救急の担当医の先生から連絡が来ましたが、

「心肺停止の状態で1時間蘇生を試みているが反応する気配がない」

とのこと。

ああ、やっぱりもう、逝っちゃったんだな、と思いました。

事件性はないけれど、死因がわからないため、警察に連れて行かれるそうです。

警察の中でやるのかわかりませんが、解剖ではなくCTをかけて一応死因を確認しますが、はっきりわかるのは2、3割だそうです。

最初に娘に電話をして、その後も何度か話しました。

まだ亡くなった実感はないのだけれど、私と母は決して温かい関係ではなかったし、今年の初めに母が骨折して入院した時も、まだこんなに腹が立つことがあるのかと思うくらい腹を立てたこともあります。

それでもやることはやってきたし、夏に母が認知症と診断された時に私が願ったのは、できれば全くわけがわからなくなる前に、長く入院したり患うことなくその時を迎えて欲しいということでした。

その願いは叶ったことになります。

がんで1年半の闘病の亡くなった父と比べると、苦しみと死の恐怖が少なかったことが救いです。

骨折の時にケンカをした後も、事情が事情だったのでそれでも入退院の手伝いに行ったり、外出をして二人で食事をしたり。

認知症が確定した時は「やはりね」と言うようなぼやけた反応と辻褄の合わない噛み合わない会話が多かったのですが、その後私も飲んでいるサプリを飲み始めてからびっくりするほどまともな会話ができていました。

サプリ効いてるんだ、と思っていたのですが、もしかして死期が近くなると突然正気に返ることがあるという、あれだったのかな。

電話をしても穏やかに会話を終えることができているなと思っていた矢先のことでした。

今日のオフ会が終わった後で良かった。

そんな風に考えてしまう私は冷たいのかしら。

亡くなって寂しいのは本当に温かいやりとりができなかったことだよね、と娘と話しました。

娘とだけはそんな関係になりたくない。

娘を産んでから、いや娘がお腹にいる時からずっと、それだけを望んでそうならないように努力できたのも、ある意味母のおかげかもしれません。

今はまだ、いろんな考えや気持ちや、これからどうやって片付けしたらいいんだろうとか、頭の中をぐるぐる回っています。

とりあえず、アポのキャンセル、約束の延期、旅行のキャンセルは2つを除いて完了。

これから出かける支度をして、朝は4時起きで出かけます。

寝られるかな?

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