インフルエンザが流行ってる

今週予定していたランチが取りやめになりました。

参加者の一人のお嬢さんが今日発病、だそうです。

別の方のお嬢さん、こちらは一人暮らしでかかってしまったらしく、面倒を見に行こうかどうしようか、迷っていらっしゃるそうで。

私なら、行ける距離なら速攻で行ってしまう。

きっと、もっと深刻な病気がパンデミックになったとしても、私はきっと娘のところに行ってしまうだろうな。

そして、自分もかかって、死ぬ。

多分そうなりますw

親バカというか、ばか親です。

実はさっき、私がインフルエンザ(熱は低めで風邪かとも思っていたのだけれど、今思うと症状から、やっぱりインフルエンザでした)にかかっていた時に、熱にうなされながら書いたブログが下書きにあるのを発見しました。

だいぶ頭がおかしくなっていますが、面白いのでそのまま載せますw

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今回の風邪、久々にすごく酷くて、まともに寝られない、まともに起きることもできない、気持ちが悪い、頭が痛い、くらくらする、身体中が痛い。

やっぱりインフルエンザだったのかな。

がんというのは病気の中でも深刻度ナンバー1だと思うのだけれど、私は実際に、がんという病気そのもので悩まされたとか辛かったことがない。

それでもステージは3b。

つまり、けっこうな進行度だったわけで、それでも下血があったくらいが自覚症状で、痛みなんて一切なかった。

がんで痛みが出る時は、たまたま痛みを感じやすいところにできたか、目で見えるところにできたか、もしくは「末期」と言えるほどのだいぶ症状が進んでいる時か。

私はそこまでにはなっていなかった、んですね。

ちなみに、遠隔転移があるステージ4はがんのステージの中でもっとも進んだ状態だけれど、だからといって通常想像するような「末期=もう死にそう」の状態では決してない。

まだまだ元気、だったりするんですね。

だから私的には、がんでつらかったのはがんそのものではなくて、手術の後の痛みや、弱った体、手術中に神経に触られてしまったことで支障が出て思うように動かなくなった足、手術で長いこと固定されていたことが(多分)原因で神経が圧迫されて手の力がなくなったことやしびれや、その後の抗がん剤の副作用、だった。

そしてもちろん、メンタル。

がんなんて、どんなに治療しても結局死ぬんじゃないの?

そんな考えが頭から離れなかったから。

もちろん、私はそれでも元気に快復したわけで、実際にがんで亡くなる前というのはこんなものではないことはわかっているけれど、とにかく私自身の今の状態は実際そういうお気楽な感じで、そういう意味でもがんの怖さというのは大変な痛みに苦しむ末期の人以外は、ひたひたと迫る死、という精神的なものだという気がする。

だから、あくまで私的にはがんより今回のインフルエンザの方がずっとずっとつらかった。

今回よりも大変だったのは、日本に帰国する割と直前に、オランダで牡蠣に当たって夫と二人で吐く下す、を何日も続けた時で、あの時はたぶん、ノロだったと思う。

あれよりは今回はまるっきりましだけれど、それでも苦しくていろんなことを考えた。

やっぱり、死ぬんだな、とか。

いや、今、このインフルで、というわけではないんだけれどw

こんなに自分の体が自分の思い通りにならず、体がぎくしゃくして、とても元に戻ると思えない、とまで思った。

一回魂を取り出して、抜け殻の体をじゃぶじゃぶ洗って、なんならクエン酸と重曹で炭酸漂白とかもして、余計なウィルスとか流し切って、真っ白になった体に魂をぽこん、と戻してやれたらどれだけすっきりするだろう。

そんなアホなこと考えつつ、でも本当にしんどかったのです。

そして、死ぬんだなって思う感覚、これは実はがんを宣告されて初めて持つようになった感覚だと思う。

どんなに「生きとし生けるものはすべて死ぬのが理」とわかっていても、本当に、「自分の死」を目の前にしたことがなければわからないことがあるのではなかろうか。

私の場合、がん宣告からちょうど3年になろうとしていて、もうすっかり「臨場感」を持って「がん」とか「死」とか考えなくなったというか、勝手に遠のいたと思っていた安直な私が、今回寝込んだことでその「死ぬかも」な感覚を取り戻した、というか。

だから今日の私は、「死ぬのね」「死ぬんだよ」という理解と受け止めが満タンだし、この前見た「はじめてのおつかい」では要所要所で涙ぐみつつ

「でもなんで日本ではこんな小さい子におつかいさせて自立を促すくせに実際にはいつまでもいつまでも親に頼るのが当然で大学はおろか働くようになっても親元で暮らさせようとするの」

とか

「アメリカでも他の先進諸国でも12歳までは一人歩きさせないのが当たり前ではじめてのおつかいなんて児童虐待でブチ込まれる企画なのに、子どもがおつかいすらしたことないはずの欧米の人間の方が明らかに自立していくのはなぜなの」

なんていう「はじめてのおつかい」ファンに袋叩きにされるだろうコメントをしていることになんの矛盾もなく

「命って素晴らしい」

「子どもは天使で、宝」

と本気で思ってる。

心から。

そして、小さくはなくなっちゃったうちの娘のことは、何がなんでも私より長く生きていてほしいと改めて思ったし、ちょうど苦しい最中に海外出張に出ていって、いつもだと着いたら速攻連絡してくるのに連絡がないから

「どうしよう、事故にでも遭っていたら!」

とネガティブな妄想満載で、でも病気でない私の理性的な部分がまだあって

「いやいや何かトラブルがあればむしろすぐどこかから連絡が入るはず」

そうわかってもいる。

そもそもいちいち細かな連絡が欲しいわけではまったくない、というか元気な時ならちらっと面倒臭いw

「はじめてのおつかい」で子どもの自立に云々言ってる場合じゃない、まずは自分が子離れしなさい!なのは、重々どころか三重にも四重にもわかってる。

あれやこれやと気にしてくれておかゆだのなんだの買い込んで来てくれたりした夫にも改めて感謝、だった。

やっと良くなってきたと思えた朝、私のベッドの横に夜には濡れていたのであろうパリパリのタオルがハンガーにぶら下がっているのを見て、ああ夫って、こうやっていつも自分ができることを本当に押し付けずにさらっとしてくれる人なんだよな、ってついつい文句ばっかり言っちゃう自分を反省、って軽い言葉では済まされないほど、猛省。

でもきっとこんな思いも、死ぬんだな、と同じくまた少しずつ遠のいていくんだろうな。

そう思ったので、記憶が新しいうちに、考えたことを書いておくことにしました。

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今読み返してみると、「なんなの?」っていうアホなブログですが、回復したと思っているのに実はまだ調子悪かったんだ、というところが見えて、自分的にはちょっとウケました。

確か寝て寝て寝まくったので、夜中に起き出した時に発作的に書いたような記憶があります。

今日は特に書くべきこともなかったので、載せてみました。

お目汚し、失礼致しましたm(_ _)m

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