20年。

なんとなく朝から怠くて、だらだら気味。

夫は年に一度の健康診断に出掛けていたので帰ってくるまでダラダラしとこ、と思いました。

帰って来たってダラダラするんですけどね(笑)

午後から夫の勉強に付き合いzoomミーティングに参加する予定だったので、それまでには元気になりました。

ミーティングの後はまたダラダラに戻り、結局のんびりムードのまま、夜になりました。

けれど、ふと気づいたら今日は9月11日。

20年前の今日、私はストックホルムにいました。

娘を学校に迎えに行き、旅行社で冬休みに予定していたエジプト旅行の仮予約をして、家にちょうど帰ったところでした。

夫からの連絡でテレビを付けると、WTCの映像が。

その半年前の3月、夫と再婚して私と娘はニューヨークからスウェーデンに引っ越してきました。

電話も繋がらない。

まだインターネットもそこまでみんながやっていた訳でもない。

必死で友達と連絡を取り、みんな無事だと分かるまでの数日間。

今でも思い出すと動悸がします。

その後、3月11日に成田で娘が被災した時も、無事に姿を確認するまでの3日間、同じような思いをしました。

けれど災害とは違って、この事件は人が引き起こしたものだということがなんともやり切れません。

この世が修行の場である以上、諍いはなくならない。

戦争もなくならない。

病気もなくならない。

スピリチュアルを学んで分かったことです。

こう言ってしまうと希望などどこにもないように思えますが、反面、スピリチュアルを学んで、人の生きる意味は死をもって終わってしまうものではないと知ったことは、希望よりももっと深い、心の平安をもたらしてくれました。

身近な人の死が悲しくない訳ではないし、悲惨な事件の衝撃は同じくあります。

自分の死を考えて怖くなることも、もちろんあります。

それでも。

死ぬことが、生きる意味を打ち消したりはしないから。

今日は一日、だらだら過ごしてしまった私ですが、せめて一日の終わりに、あの日、WTCで亡くなった全ての方々に、黙祷。

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